クッキーは焼かない

クッキーは配るもの

アイドルはパーフェクト☆イリュージョン

 

 

長いブログ書くのタリーから、たまに短めのやつをぶっこむことにした。

ブログ書こうかな、と思って書いても自分の中のオモシロの水準(凡人なりにそーゆーのがあったりする)に到達してなくてお蔵入り、みたいなのがハチャメチャに続いているので、短くサラッと書くタイプのやつがあってもええじゃろみたいなスタンスで生きることにした。

 

それはそうと、昔々、女神様がいたんですよね。

「すわ、怪しい宗教の話か!?」と身構えたそこのあなた、大丈夫です。怪しくないです。宗教の話ですが怪しくないです。大丈夫、何も怖くないよ。お金とか…とらんから……。

女神様は現人神でして、美を司る神でありました。我々の世界が美しいのはその女神様がいらっしゃるからであり、色彩があるのは女神様からのお恵みだったのでありました。美という名の愛を我々に平等に与え給う女神、それがNS様でありました。

イニシャルにしているけれど不安だ。唯ぼんやりとした不安。芥川かよ。死ぬな、生きろ。

昔の私は聖様(と彼女を呼んでいた)を信仰する宗教に入っていた、というかそういう宗教を創立していた。聖様がいるから世界に美が存在するのだ、聖様こそが美のイデアなのだと固く信仰していた。聖様の写真集が出たら即購入し、聖様が表紙のファッション誌も即購入し、聖様がご出演なすった舞台の前の方の席を取り、聖様がご出演なすった映画を見るためならば他県に日帰りで飛び、その御姿が背負う後光に穢れた眼を焼く陶酔に浸り、聖様のお演技のその、ユ、ユニークさ?あの、はい、これ以上はやめます、はい、そして毎日のInstagram拝見を参拝と呼び、現人神たる聖様と同時代に生まれることの出来たこの喜びを歌い、この世に美しさを恵んで下さった聖様のお慈悲に手を合わせ、美のイデアという人間ごときが見られぬものを見せてくださるその奇跡に、引くな、待って、行かないで。信教の自由やぞ?日本国憲法第20条叩きつけられてえかオォン!?憲法解釈バトルすっか!?!?

当時の僕は本当の意味でfanaticだった。彼女は僕の神様だったのだ。しかし女神は神ではなかった。

聖様は結婚したのだ。

 

 

これがかの有名な「人間宣言」です。みんな聞いたことあるよね?社会のテストでるから覚えときな。

人間宣言が訪れた日のことは断片的に覚えている。まあ昔の話だからね。とにかく荒れて荒れて荒れまくり、女神を人間に堕とした(という表現は明確に間違ってるんですけど、当時の私は本気でそう思っていたんですよ。ぁたし、バカゃから。。。)相手の男性を呪いに呪い、グールドのゴルトベルク変奏曲聴きながら大泣きした。多分なんかグールド聴いて落ち着こうとしたんだと思う。アホな人間なりになんとかクールでいようとアホな努力をしたアホな可愛さを受け取れ。無理ですかそうですか。

だって神は「この世の全ての人間に等しく愛を注ぐ」というのを本質として持つ存在の筈だ。特定の人間を贔屓なんてしない筈だ。そんなの神様じゃない。なのに聖様は1人の男に特別な愛を注いでいるのだ。すわ人間!神じゃねえ!じゃあ聖様はなに!?神の本質が欠けてるの!?essence precedes existenceじゃないの!?ねえ答えてよ!!本質は存在に先立つってお前言ってたじゃん!!!と論文を前に慟哭する存在が俺だ。昔は本質主義の極北に住んでたんだよね、ばあちゃん。今では本質は存在に先立つってラディカルすぎるだろって思ってる。

人間宣言ショックはその後数ヶ月続き、数年間私は彼女のインスタを見ることすらできなかった。神は死んだ。うん、神は死んだ。私の神は死んだのだ。Mein Gott ist tot. 私の神は死に、今では人間としてこの世を生きている。

 

問: 僕がここから得た教訓とはなにか?

 

答: 相手は幻想だと理解した方がいい

 

簡単な話で、単純な教訓である。僕は聖様が現実を生きる人間であると理解しようとせずに、勝手な信仰を押し付け、幻想と現実を混同し、そんで勝手に精神的死を迎えた。ここでそんな僕にぴったしのBGM。

www.youtube.com

You were so perfect (In a modern ecstasy). You were a perfect illusion. 知ってるかい?ガガ様はいつだって正しい。たぶん。

 

芸能人とかそういう画面越しでしか知らない存在って、芸名という幻想を被ってると思った方がいい。その中にいる生身のその人のことなんて私たち、知ることができないし、知ってるとか死んでも思わない方がいい。知ってると思い込んでる人を見ると(たまにいる)、少しゾッとする。いや、それは単純に双方にとってとても危険だから。彼女ら/彼らは理想という名の幻想を売っているわけであって、その奥にある現実を売っているわけじゃない。それは売り物ではないし、絶対に売っちゃいけないものだし。そして同時に、こちら側もハナから売っていないものを買ったつもりにならない方がいい。現実と幻想を混同すると、遅かれ早かれ精神的に死ぬことになる。俺は理解した。まあなんか僕の場合は特殊な事例な気がするけど、アレ完全に宗教だったし。でも似たようなもんだ。過去の痛みから学んでいけ。待てよ、本当に似てるか……?まあいいや。

だから目の前の人間は理想をふりまく幻想だと理解した上でなお推すんだ、僕は。

ごっこ遊びを真剣にやっているんだ、僕たちは。ウォルトンかよ。

 

数年前から僕はTWICEちゃんを推してるんですけど、彼女達を見つつ「幻想を見せてくれてありがとう……」と感謝して手を合わせるという老後みたいな人生を送っている。ああ尊い。皆可愛くて踊りが上手くて歌がうまくて性格がよくて可愛くて可愛い。ボキャブラリーの貧困?不完全な言語などどっかに飛んでいけ。全部言語で表現しろなんて、広大な海を桶で全部汲めって言ってるのと等しいわ。

TWICEちゃんたちは彼女たちの現実で何が生じていても、舞台では私たちのために笑顔で踊って歌ってくれる。それを思うだけで私は感動して泣けるんですよ。私たちに完全な幻想を提供するために、彼女たちは微笑んでるんですよ……、グォッグォッ。それが彼女たちのお仕事だと分かった上でも、仮に全部が作り物だったとしても私は感動できる。僕はその微笑みが商業的・資本主義的微笑みであっても、「これが私の本当の姿だよ」と言って差し出されたものが嘘であっても構わないのだ。だからなんだっていうんだ、こっちはそれすら呑み込んだ上でごっこ遊びに興じているのだ。幻想を共有して、そのフィクションに乗っかって遊んでるんだから、そこら辺は理解した上で言葉にせずに遊ぶのがマナーってもんだ。ジャパニーズ・粋ってもんだ。おままごとしてる時に「でもお前おかあさんじゃないし、てかお前ただの子どもじゃね?」とか言うヤツいるか?いたら連絡してくれ。謝るから。我々はごっこ遊びだって本気で楽しくやれるんだ。ファンとアイドルの役を演じてる俺たちだって楽しいに決まっているだろう。

もっと言うと、アイドルという役を演じていない彼女たちを私は推していない。推していない、というより推すことって不可能じゃね?と思っている。私が見ているのは例えばミナやジヒョというアイドルで、現実に存在する名井南さんやパク・ジヒョさんではないからだ。私はアイドルとしてのミナやジヒョのことはよく知っているけれど、名井南さんとパク・ジヒョさんのことは殆ど何も知らない。知らない人のことを推すことなんて出来なくない?つまりはそういうことよ。

もちろんミナやジヒョが好きだから、名井さんにもパクさんにも幸福になって欲しいけれど(他のメンバーも含めて全員幸せになって欲しいよね……ラヴ……)、それ以上は特に求めていない。本名の生身の彼女たちには、他の人間同様、自分が幸福だと思える形で自由に生きて欲しい。彼女たちの現実は売り物じゃないから。それは商品としてハナから用意されていないから。僕は買えないタイプのヤツだから。畢竟、僕たちは幻想しか推せない。我々に用意されているパッケージは最初から幻想だけで構成されている。アイドルは自分が被った表層の膜だけを売っていると思ってる。あの、ほら、湯葉みたいな感じの、あの、膜だけがね、売られてるの。アイドルは湯葉だった……?湯葉、美味いよね。ばあちゃん、湯葉、だ~いすき。

豊穣の海からあがればそこは荒れた海岸線。ハレとケ。幻想と現実。薄いスクリーンで隔てられた向こう側。その断裂は超えられない。本ごっこ遊びにおいてそれを超えようとするのは無粋だし、ルール違反ですらある。私はファンの役、貴女たちはアイドルの役。お互いの役を演じるのを楽しんでいる。目の前のパーフェクト・イリュージョンを本気で愛おしんで、そのパーフェクト・イリュージョンを本気で推していく。

それが人間宣言をサヴァイヴした今の僕にとっての推し活観である。

 

人間宣言……、本当に大変だったんですよ……。

ていうかそんなに短くならなかったわ、ごめん。うけぴよ。