クッキーは焼かない

クッキーは配るもの

長崎探訪記:遠藤周作文学館

 

 

 人生の全てに辟易とし、金曜日に長崎に行こうと思った。ホテルを取った。往復切符を買った。次の日には長崎にいた。
 何故長崎なのか。近いからでも観光地だからでも食べ物が美味しいからでもない。遠藤周作文学館があるからである。

 私は遠藤周作の作品に何度も助けられて生きてきた。私は不良ではあるが一応キリスト教徒である。プロテスタントである。私の家族も皆キリスト教徒である。そして、常に家にいる母親はあまりにも狂信的だった。これ以上は言わない。私にとってそれらの記憶は未だに深い傷となっているからだ。
 そのような家庭環境で育った何故私がキリスト教自体に好意的なのか(キリスト教徒のコミュニティはハッキリ言って嫌いである)。それは10代の時に、遠藤周作の作品を大量に読んだからだった。
 遠藤周作は、イエス・キリストを弱く、何もできない存在として描く。ただ人間の弱さ、醜さ、脆さ、惨めさ、哀しさ、そういったものに涙を流し、弱く醜く脆く惨めで哀しい人間の後を、拒絶されても着いて歩き、自らを拒絶した人間の涙さえも拭う。それが遠藤周作にとってのイエス・キリスト、彼の言葉を借りるならば「人生の同伴者としてのイエス・キリスト」である。この思想を端的に表現しているのが、『悲しみの歌』で勝呂(彼はかの有名な『海と毒薬』の主人公である)が自殺する直前の問答および、勝呂の自殺後の新聞記者である折戸とガストンの対話だろう。少し長いが2カ所引用しよう。

「誰かがそばで泣いているように感じた。その泣き声はガストンのようだった。五時間前に新聞記者の折戸が彼を責めていた時、待合室でガストンがすすり泣いたあの声のようだったからである。
 襟にうずめた顔をあげ、医師はあたりを見まわした。勿論、誰もいなかった。
「オー、ノン、ノン。そのこと駄目」
とその声は彼に哀願した。
「死ぬこと駄目。生きててくださーい」
「しかし私はもう疲れたよ。くたびれたのだ」
「わたくーしもむかし生きていた時疲れました。くたびれました。しかし、わたくーしは最後まで生きましたです」
「あんたが……?あんたはガストンじゃないのかね」
「いえ、ちがいます。わたくーしはガストンではない。わたくーしは……イエス
「私は何も信じないし、あなたのことも信じてはおらん」
「しかし、わたくーしはあなたのこと知ています」
「何を。私の過去を」
「ふぁーい」
「私が生きたまま捕虜を殺し、それからたくさんの生まれてくる命をこの世から消した医者だということも知っているのかね」
「ふぁーい」
「それを知っているなら、もう、とめないでくれ。私はみんなから責められても仕方のない人間だ。私は誰も救わなかったし、自分も救いがたい男だと思っている」
 医師は襟に顔を埋めたまま、ひとり言のように呟いた。
「あんたがいくらイエスだって、私を救うことはできない。地獄というものがあるならば、私こそ、そこに行く人間だろうね」
「いえ、あなたはそんなところには行かない」
「どうして」
「あなたの苦しみましたこと、わたくーし、よく知ていますから。もう、それで充分。だから自分で自分を殺さないでくださーい」
 その声はひざまずいて愛を懇願する捨てられた女のように勝呂を必死で説得していた。
 しかし、医師は濡れたベンチの上にのぼった。葉や枝から落ちる雨滴がしとどに彼の顔と上着の袖をぬらした。
「オー。ノン、ノン」
「放っておいてくれ」
枝に紐をまきつけながら、医師は二度、三度と咳をした。俺は死ぬのが怖ろしいから、睡眠薬の助けを借りねばならない、と考えた。ポケットの瓶をまた取り出して、一つかみの錠剤を口に入れた。」(遠藤周作. 1981. 『悲しみの歌』. 新潮社, pp. 391-393.)

「「なぜ、黙っているんだ。君はな、あの医者を知っているのか。彼は、戦争中に捕虜を医学の進歩と称して、生体実験したんだぞ。それだけじゃない、家族の同意もえずに患者を殺しているんだ……それを知っているのか」
「知ています」
「彼はだから、死んだんだ。死ぬより仕方なかったんだ」
「ふぁーい。そうです。ほんとに、あの人、いい人でした」
「俺は彼を糾弾したんじゃない。彼が過去のことに平然としていたから……その意識を批判したんだ」
「ふぁーい。ほんとに、あの人、かなしかった。かなしい人でした……」
「まあ、これでさ、彼はやっと民主社会にせめてもの支払いをしたわけだ」
「ふぁーい。ほんとにあの人、今、天国にいますです。天国であの人のなみだ、だれかが、ふいていますです。わたくーし、そう思う」」(Ibid, p. 408.)

 ガストンは複数の作品に出てくるキャラクターであるが、明らかにイエス・キリストと重ねられている。遠藤周作作品におけるイエス・キリストは、奇跡を行い、美しく、荘厳で、罪を裁くような、厳格な父なる宗教としてのキリスト観とは全く異なる。人間の苦悩、哀しみに寄り添い、人を裁かず(先の引用で、ガストンが折戸を一切非難していないことからも分かるだろう)、拒絶されても最後まで共にあり、その涙を拭う存在である。無論、これは遠藤周作の思想変遷として著名な「父なる宗教」から「母なる宗教」への移行が関係しているのだが、それについては割愛する。
 遠藤周作は人の愚かさ、弱さ、哀しさを描く。しかし、そこに上からの目線を感じないのは、彼自身が自分が愚かで、弱く、卑怯で、哀しい人間であると自覚しているからだろう。遠藤周作が『沈黙』の登場人物であるキチジローに自らを重ねていたことは有名な話である。キチジローは裏切り、告解し、裏切り、告解する。言ってしまえば、どうしようもなく、高潔さと真逆の人間である。だが、高潔な人間がどれだけいるだろうか。自らの信仰に殉ずることの出来る人間がどれだけいるだろうか。遠藤周作は自らの弱さを自覚している。ゆえに、彼の作品には背教者や何度も逃げ出したり流されてしまう弱い人間への共感が存在している。そうでなかったら、九州大学生体解剖事件をモデルとした『海と毒薬』の続編である『悲しみの歌』で、勝呂という人間の哀しさを書くはずもない。そして、だからこそ、自らの弱さ、愚かさを自覚している人間の深い底まで彼の物語は届くのだ。
 長崎探訪記なのに遠藤周作作品についての概説を行ってしまった。とにかく、私は、遠藤周作の小説を読み続け、このキリスト教観こそがキリスト教という宗教の核であると思った。終末思想、裁き、厳格な戒律、そういったものも確かに重要であるのだが、それはおまけに過ぎないのだと理解した。誰かに怒られそうだな。キリスト教で最も優れた教えは、「イエス・キリストが常に共にあり、人の子の流す苦悩の涙を拭う」という点であろう(他にも隣人愛、寛容さ、他者を赦すこと等も極めて優れていると思っている)。この教えは人を確かに救う。人を最も追い詰めるものはなにか。それは孤独である。抱えた哀しみへの無理解である。それゆえに、私はキリスト教自体には嫌悪感が一切ない。それゆえに、未だに不良キリスト教徒として生きている。

 ……という背景事情があり、私は遠藤周作の作品を愛している。10年近く遠藤周作文学館に行くことを切望していたのが、ようやく訪れることができた。遠藤周作文学館は長崎駅からバスで70~80分かかる場所にある。しかも1度だけだが乗り換えが生じる。つまりアクセスが非常に悪い。何故そのような立地にあるのか。遠藤周作文学館のある長崎市外海地区、そこは遠藤周作の代表的作品である『沈黙』の舞台となった場所だからである。
 山道をバスでひたすら走り続けると、突然美しい海が現れる。『沈黙』でロドリゴとガルペが上陸した海、殉教者たちが磔になり死んだ海。海は青く、美しい。しかしその海は同時に、人の哀しさと苦痛、苦悩を背負う海である。その海を何の遮蔽物もなく見渡せる場所に遠藤周作文学館はある。
 展示物の写真撮影は禁止であったため、私の脳内をお見せすることができないのが非常に残念であるが、そこで私は小説家・遠藤周作の芸術への執念を見た。まっさらな紙に小さな文字でぎゅうぎゅうに書かれた草稿。そしてその上から本人でないとどこをどう推敲したのか分からないほどに書き込まれた赤と青の文字。病に冒されながら書いた『深い河』の文章に対する推敲の甘さへの自責。遠藤周作はユーモアのある人間としても知られているが、やはり彼の本質は誠実さであり、真面目さであると思った。まあそうでなかったならば、あのような小説が書けるはずもないのだが。
 ちなみに今年は遠藤周作生誕100周年の年である。これを機に訪れるのもよいのではないだろうか。生誕100周年記念絵はがき、記念日めくりカレンダー、記念トートバッグなども売店で購入できる。ちなみに私は絵はがき2セットとトートバッグを買った。何故絵はがきを2セット買ったかというと、遠藤周作が好きな友人にそれを使って残暑見舞いを贈りたかったからである。そしてもう1セットは家に飾る用だ。トートバッグは1000円だったのだが、かなりしっかりした作りで、比較的安価なのに品質がよい。良心的だ。おすすめである。

 さて、遠藤周作文学館の近くには「沈黙の碑」という石碑があるらしかった。バスで5分、歩いて20分の距離だと地図アプリが言う。20分程度なら歩いて行こうと思い、歩いて行ったのだが、真夏に遠藤周作文学館に行く場合は全くオススメしない。景色は本当に本当に美しかった。光る海、生き生きとした緑、深い青空。太陽光が苦手なため、常に外ではサングラスをかけている私がサングラスを外すくらいに美しかった。しかし真夏の猛暑日にあまり影のない道を20分歩くというのは自殺行為に等しい。しかも長崎であるので坂道が多いし、自販機も途中一台しかなかった。真夏の場合は素直にバスで行くが吉である。止まらない汗を大量に流しながら、途中あった自販機で購入した500mlの水をあっという間に飲み干しながら、私はなんとか20分間歩き、果たして沈黙の碑に到達した。

 どこまでも青く、どこまでも続く海を見下ろす高台にひっそりと佇む沈黙の碑には、遠藤周作の文章が刻まれていた。

人間が
こんなに
哀しいのに
主よ
海が
あまりに
碧いのです