クッキーは焼かない

クッキーは配るもの

長崎探訪記:遠藤周作文学館

 

 

 人生の全てに辟易とし、金曜日に長崎に行こうと思った。ホテルを取った。往復切符を買った。次の日には長崎にいた。
 何故長崎なのか。近いからでも観光地だからでも食べ物が美味しいからでもない。遠藤周作文学館があるからである。

 私は遠藤周作の作品に何度も助けられて生きてきた。私は不良ではあるが一応キリスト教徒である。プロテスタントである。私の家族も皆キリスト教徒である。そして、常に家にいる母親はあまりにも狂信的だった。これ以上は言わない。私にとってそれらの記憶は未だに深い傷となっているからだ。
 そのような家庭環境で育った何故私がキリスト教自体に好意的なのか(キリスト教徒のコミュニティはハッキリ言って嫌いである)。それは10代の時に、遠藤周作の作品を大量に読んだからだった。
 遠藤周作は、イエス・キリストを弱く、何もできない存在として描く。ただ人間の弱さ、醜さ、脆さ、惨めさ、哀しさ、そういったものに涙を流し、弱く醜く脆く惨めで哀しい人間の後を、拒絶されても着いて歩き、自らを拒絶した人間の涙さえも拭う。それが遠藤周作にとってのイエス・キリスト、彼の言葉を借りるならば「人生の同伴者としてのイエス・キリスト」である。この思想を端的に表現しているのが、『悲しみの歌』で勝呂(彼はかの有名な『海と毒薬』の主人公である)が自殺する直前の問答および、勝呂の自殺後の新聞記者である折戸とガストンの対話だろう。少し長いが2カ所引用しよう。

「誰かがそばで泣いているように感じた。その泣き声はガストンのようだった。五時間前に新聞記者の折戸が彼を責めていた時、待合室でガストンがすすり泣いたあの声のようだったからである。
 襟にうずめた顔をあげ、医師はあたりを見まわした。勿論、誰もいなかった。
「オー、ノン、ノン。そのこと駄目」
とその声は彼に哀願した。
「死ぬこと駄目。生きててくださーい」
「しかし私はもう疲れたよ。くたびれたのだ」
「わたくーしもむかし生きていた時疲れました。くたびれました。しかし、わたくーしは最後まで生きましたです」
「あんたが……?あんたはガストンじゃないのかね」
「いえ、ちがいます。わたくーしはガストンではない。わたくーしは……イエス
「私は何も信じないし、あなたのことも信じてはおらん」
「しかし、わたくーしはあなたのこと知ています」
「何を。私の過去を」
「ふぁーい」
「私が生きたまま捕虜を殺し、それからたくさんの生まれてくる命をこの世から消した医者だということも知っているのかね」
「ふぁーい」
「それを知っているなら、もう、とめないでくれ。私はみんなから責められても仕方のない人間だ。私は誰も救わなかったし、自分も救いがたい男だと思っている」
 医師は襟に顔を埋めたまま、ひとり言のように呟いた。
「あんたがいくらイエスだって、私を救うことはできない。地獄というものがあるならば、私こそ、そこに行く人間だろうね」
「いえ、あなたはそんなところには行かない」
「どうして」
「あなたの苦しみましたこと、わたくーし、よく知ていますから。もう、それで充分。だから自分で自分を殺さないでくださーい」
 その声はひざまずいて愛を懇願する捨てられた女のように勝呂を必死で説得していた。
 しかし、医師は濡れたベンチの上にのぼった。葉や枝から落ちる雨滴がしとどに彼の顔と上着の袖をぬらした。
「オー。ノン、ノン」
「放っておいてくれ」
枝に紐をまきつけながら、医師は二度、三度と咳をした。俺は死ぬのが怖ろしいから、睡眠薬の助けを借りねばならない、と考えた。ポケットの瓶をまた取り出して、一つかみの錠剤を口に入れた。」(遠藤周作. 1981. 『悲しみの歌』. 新潮社, pp. 391-393.)

「「なぜ、黙っているんだ。君はな、あの医者を知っているのか。彼は、戦争中に捕虜を医学の進歩と称して、生体実験したんだぞ。それだけじゃない、家族の同意もえずに患者を殺しているんだ……それを知っているのか」
「知ています」
「彼はだから、死んだんだ。死ぬより仕方なかったんだ」
「ふぁーい。そうです。ほんとに、あの人、いい人でした」
「俺は彼を糾弾したんじゃない。彼が過去のことに平然としていたから……その意識を批判したんだ」
「ふぁーい。ほんとに、あの人、かなしかった。かなしい人でした……」
「まあ、これでさ、彼はやっと民主社会にせめてもの支払いをしたわけだ」
「ふぁーい。ほんとにあの人、今、天国にいますです。天国であの人のなみだ、だれかが、ふいていますです。わたくーし、そう思う」」(Ibid, p. 408.)

 ガストンは複数の作品に出てくるキャラクターであるが、明らかにイエス・キリストと重ねられている。遠藤周作作品におけるイエス・キリストは、奇跡を行い、美しく、荘厳で、罪を裁くような、厳格な父なる宗教としてのキリスト観とは全く異なる。人間の苦悩、哀しみに寄り添い、人を裁かず(先の引用で、ガストンが折戸を一切非難していないことからも分かるだろう)、拒絶されても最後まで共にあり、その涙を拭う存在である。無論、これは遠藤周作の思想変遷として著名な「父なる宗教」から「母なる宗教」への移行が関係しているのだが、それについては割愛する。
 遠藤周作は人の愚かさ、弱さ、哀しさを描く。しかし、そこに上からの目線を感じないのは、彼自身が自分が愚かで、弱く、卑怯で、哀しい人間であると自覚しているからだろう。遠藤周作が『沈黙』の登場人物であるキチジローに自らを重ねていたことは有名な話である。キチジローは裏切り、告解し、裏切り、告解する。言ってしまえば、どうしようもなく、高潔さと真逆の人間である。だが、高潔な人間がどれだけいるだろうか。自らの信仰に殉ずることの出来る人間がどれだけいるだろうか。遠藤周作は自らの弱さを自覚している。ゆえに、彼の作品には背教者や何度も逃げ出したり流されてしまう弱い人間への共感が存在している。そうでなかったら、九州大学生体解剖事件をモデルとした『海と毒薬』の続編である『悲しみの歌』で、勝呂という人間の哀しさを書くはずもない。そして、だからこそ、自らの弱さ、愚かさを自覚している人間の深い底まで彼の物語は届くのだ。
 長崎探訪記なのに遠藤周作作品についての概説を行ってしまった。とにかく、私は、遠藤周作の小説を読み続け、このキリスト教観こそがキリスト教という宗教の核であると思った。終末思想、裁き、厳格な戒律、そういったものも確かに重要であるのだが、それはおまけに過ぎないのだと理解した。誰かに怒られそうだな。キリスト教で最も優れた教えは、「イエス・キリストが常に共にあり、人の子の流す苦悩の涙を拭う」という点であろう(他にも隣人愛、寛容さ、他者を赦すこと等も極めて優れていると思っている)。この教えは人を確かに救う。人を最も追い詰めるものはなにか。それは孤独である。抱えた哀しみへの無理解である。それゆえに、私はキリスト教自体には嫌悪感が一切ない。それゆえに、未だに不良キリスト教徒として生きている。

 ……という背景事情があり、私は遠藤周作の作品を愛している。10年近く遠藤周作文学館に行くことを切望していたのが、ようやく訪れることができた。遠藤周作文学館は長崎駅からバスで70~80分かかる場所にある。しかも1度だけだが乗り換えが生じる。つまりアクセスが非常に悪い。何故そのような立地にあるのか。遠藤周作文学館のある長崎市外海地区、そこは遠藤周作の代表的作品である『沈黙』の舞台となった場所だからである。
 山道をバスでひたすら走り続けると、突然美しい海が現れる。『沈黙』でロドリゴとガルペが上陸した海、殉教者たちが磔になり死んだ海。海は青く、美しい。しかしその海は同時に、人の哀しさと苦痛、苦悩を背負う海である。その海を何の遮蔽物もなく見渡せる場所に遠藤周作文学館はある。
 展示物の写真撮影は禁止であったため、私の脳内をお見せすることができないのが非常に残念であるが、そこで私は小説家・遠藤周作の芸術への執念を見た。まっさらな紙に小さな文字でぎゅうぎゅうに書かれた草稿。そしてその上から本人でないとどこをどう推敲したのか分からないほどに書き込まれた赤と青の文字。病に冒されながら書いた『深い河』の文章に対する推敲の甘さへの自責。遠藤周作はユーモアのある人間としても知られているが、やはり彼の本質は誠実さであり、真面目さであると思った。まあそうでなかったならば、あのような小説が書けるはずもないのだが。
 ちなみに今年は遠藤周作生誕100周年の年である。これを機に訪れるのもよいのではないだろうか。生誕100周年記念絵はがき、記念日めくりカレンダー、記念トートバッグなども売店で購入できる。ちなみに私は絵はがき2セットとトートバッグを買った。何故絵はがきを2セット買ったかというと、遠藤周作が好きな友人にそれを使って残暑見舞いを贈りたかったからである。そしてもう1セットは家に飾る用だ。トートバッグは1000円だったのだが、かなりしっかりした作りで、比較的安価なのに品質がよい。良心的だ。おすすめである。

 さて、遠藤周作文学館の近くには「沈黙の碑」という石碑があるらしかった。バスで5分、歩いて20分の距離だと地図アプリが言う。20分程度なら歩いて行こうと思い、歩いて行ったのだが、真夏に遠藤周作文学館に行く場合は全くオススメしない。景色は本当に本当に美しかった。光る海、生き生きとした緑、深い青空。太陽光が苦手なため、常に外ではサングラスをかけている私がサングラスを外すくらいに美しかった。しかし真夏の猛暑日にあまり影のない道を20分歩くというのは自殺行為に等しい。しかも長崎であるので坂道が多いし、自販機も途中一台しかなかった。真夏の場合は素直にバスで行くが吉である。止まらない汗を大量に流しながら、途中あった自販機で購入した500mlの水をあっという間に飲み干しながら、私はなんとか20分間歩き、果たして沈黙の碑に到達した。

 どこまでも青く、どこまでも続く海を見下ろす高台にひっそりと佇む沈黙の碑には、遠藤周作の文章が刻まれていた。

人間が
こんなに
哀しいのに
主よ
海が
あまりに
碧いのです

 

 

 

 

 

 

 

 

TWICEライブ怪文書

 

 

TWICEのライブに行ってきました。

私とTWICEの出会いは何時だったかもう忘れてしまったのだが、多分5年くらい前だと思う。LIKEYのMV出たときはもうONCE*1だった記憶があるので、まあそのくらいだろう。そんなこんなで、私は5年間、MVを回し、AppleMusicで音楽を聴き続け、YouTubeチャンネルのコンテンツ*2を見て、韓国語分かんないけどVLIVE*3を見て云々かんぬん……とまあひとり孤独にコソコソと独自のファン活をしてきた。そこまでガチなファンではないと思うが、それでもずっと好きだった。YouTubeの通知ベルオンにしてるのTWICEちゃんだけ。
そんで今年の3月、友人がTWICEのライブチケ抽選チャレンジするので連番でチケとっていいかと聞いてくれたので、俺は大きくうなずき、その時点では正直取れると思っていなかった……、抽選鬼のような倍率なの知ってるから……、結果なんと取れた、取れたの……友よ…ありがとう……友情と彼女の日頃の行いに感謝……。
で、その一方を受けた俺はいそいそと飛行機を取り、宿を取り、JYPオンラインショップでエナジー棒(アレです、ペンライトのことです。どうにもペンライトという名前がパッと出てこないのでエナジー棒と独自に呼んでいる)を買い、彼女たちのMVを回し、イメトレをし、コール動画を見るなどし、昨日に備えてきた。日本哲学会?誰ですかそれは。知らない子ですね。
スタジアムライブに行くのが初めてだったもんで、友人と合流した後、どうなるんだ……何万人が一堂に会するってどうなるんだ……特に帰りの交通網……みたいな不安を抱きつつ、味の素スタジアムに移動する。TWICEちゃんにマジで直接会えるの……?画面越しの存在だった彼女たちに会え、ええ、そん、なに……一体何が起きるって言うんです、待ってくれ、TWICEちゃんが吐いた二酸化炭素を吸えるんですか!?そんな、俺は前世でどんな徳を積んだんだ!?!?みたいな謎メンタルで電車に揺られる。まわりで電車に揺られている人たちも勿論ONCEばかりである。君たちもTWICEが好きなんだね……私も…好きだよ……。
意外と入場はスムーズに行ったし、席も結構よかった(中央1階のまあまあ前の方)。これは情報なのですが、私の友人は徳を積んでいます。隣の席のお兄さんたちも「かなり席がよい」と喜んでいた。で、その後友人と2時間近く現在の時刻当てクイズをし続けたりぼんやりと誰もいないライブステージを見てチルするなどし、そして、そしてライブが始まっ、おお……もう……語彙が追いつかない。ダメ。体験しろ。

アイドルを応援するという行為は宗教である。アイドルは神であり、我々は人間であり信者である。席はよいとはいえ、勿論遠い。表情は視認できない。しかし見える。直接認識出来る。そんな小さく見える九人の女神が突然現れ、俺は泣いていた。だって、5年間画面越しでしか見たことなかったんだよ。それが、直接認識できる、この、このミラクルですけども!?SIXTEENの時から数えれば8年、その8年彼女たちの苦難も、炎上も、病気療養も、9人がまだ一緒にいるという奇跡も*4、それを全部受けいれて9人がまだ一緒のステージに立ってくれていて、しかも、重要なことに、俺と同じ時空間上にいる。少し歩けばすぐに近くに寄れる距離に、存在している。実在している。この奇跡が、このあり得ないほどの僥倖が、もう一気に来て、訳も分からず俺は泣いた。そして涙を拭いながら呟く言葉は「実在性の程度が高ェ……」いや、高いとかじゃなくて彼女たちは実在してるんですけど。でもね、私にとってはずっと画面越しの存在だったから、だったからあ!仕方ないじゃん!直接見るまでは分かんなかったんだもん!あとはもう、分かるよね。宗教ですよ。俺はこの熱狂を知っている。宗教の集会である。しかもヌルいタイプの奴じゃなくて、人があちらこちらでバッタバッタ倒れていくハードコアなタイプのやつ。あ、これ、昔何回も見てきたやつだ、と我にかえる度に思った。違うのはただ一点、俺もその熱狂の一部になっていることだけ。彼女たちが丸を四角と言えばそれはもう四角だし、甘い飴を苦いと言えばそれはもう苦いです。間違いない。そのレベル。ナヨンちゃんがコールのおかわりを求めればコールをもう一度し、ダヒョンちゃんがタモさんみたくコールの操作を所望すればその通りに声を出す。彼女たちが楽しくライブ出来るよう、我々は全力で叫び、エナジー棒を振り、エナジーを送る。ライブという営みは神と信者の共同作業だから、こちらもガチである。もらった分のリビドーを送り、そして再びリビドーをもらう。究極のリビドー備給。リビドー経済の完全成立。それがライブという名の宗教儀式。
ライブも終盤、日本語のニューシングルを歌いながらTWICEちゃんたちがゴンドラに乗って目の前に顕現する時間が到来し、アッ、も、ダメ、思い出しただけで光りに包まれてしまう、ダメ、ほん、マジ、もう、可愛い、可愛かった、意味分かんなかった、もう絶対いい匂いするていうかしてた、いい匂いが形を取っていたあれはもう、人生の絶頂だった、これが、これが善のイデアですかプラトン先生!?あるいはこれがエウダイモニアですかアリテレ先生!?違うと思うよ。でも、あのね、だって、ミナ*5が、ミナがいたの。目の前にミナがいたんです。目の前にミナがいて、歌ってて、動いてて、生きてて、笑ってて、あ、も、これはすごいことですよ。生きてるんです。実在なんです。光なんです。語彙なんて、不完全な言語なんてかなぐり捨てないと、これは表現できない。言語という重荷を捨てなければ表現できないことがある。それがあの永遠の瞬間であって、あの空間であって、本来決して得られなかった筈のリビドーだったんです。ナヨンちゃんも、ジョンヨンも、モモも、さーたんも、ジヒョも、ミナも、トゥブも、おチェンも、ツウィも、それぞれがエナジーとなり、渾然一体となってこの私を照らしているんです。だからこそ我々は生きていけるんです。それがTWICEというグループなんです。絶対的な自然法則がそこにはあったんです。自然法則そのものを私はこの目で見たんです。

世界!!!

泣くしかないんです。我々は大いなる存在を目の当たりにしたとき、泣くしかなくなるんです。ライブの中盤、Feel Specialを歌う彼女たちは、本当に光だったんです。

Feel Special。

Feel Specialは特別な曲である。

youtu.be

餅ゴリ*6がTWICEちゃんたちに直接話を聞いて作詞作曲したこの曲のリリース前、TWICEちゃんたちは色々と大変な状況にあった(詳しくはぐぐれ)。そういった状況、苦難があったという文脈を背負い、この曲を歌う彼女たち。ミナとサナ。9人。私はこの曲のPVでサナとミナを見るたびにそっと涙を流していた。だからこの曲は特別な曲だ。「何があっても、それでもあなた(メンバー)がいてくれるからまた笑う」というアンセムなのだ。You make me feel specialなのだ。そんなFeel Specialを笑顔で歌う彼女たちを見たら、本当に泣くしかなかった。9人が笑顔でいてくれてよかった。9人がいてくれてよかった。もう分かった。分かってしまった。この世界は最善だ。最善なんです。最も善きものなんです。あのときの味の素スタジアムは最善世界だったんです。
その光を前にして、最早我々には、なす術など残っていなかった。「か゛わ゛い゛い゛い゛い゛!!!」「ギャアアアアアオオオオオオオン!!!」「や゛ば゛い゛い゛い゛!!!」「ヨシン*7……ヨシンすぎる……」「キッ、キヨ~~~~~~*8!!!」「ポ゛ポ゛ッポ゛!!!」「トゥグトゥグトゥグ~!!!ハ゛ッハ゛ッ!!!」「モ゛ッモ゛ッモ゛ッモ゛ッモ゛ッエ゛ン゛モ゛ッ!!!」「ミ゛ナ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!」「ジヒョオオオアアアアアアアアアア!!!!」「ナッ、ナヨンちゃああああああん!!!!」「モモオオオオオッオオオオッオッ!!!!オ゛ッ!オ゛ェ゛ッ!!!!」「ソンチェエエヨオオオオオ!!!!」「ツウィエアアアアアアア!!!!」「ダヒョニエエエエエエエエ!!!!」「ユジョンヨオオオオオオオオン!!!」「サナアアアアアアアア!!!!」「うわあああああああああああ!!!!!!!」と叫んでたら2時間半終わってました。これはガチです。うわあああああああああああ!!!!!!!

 

TWICEちゃんたちと一緒に写真も撮ったんだよ!

この中に、何でもない存在のようでも、いなくなっても分からない人のようでも、私を呼ぶあなたの声でI feel loved, I feel so specialな俺がいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:TWICEのファンダムネームのこと。

*2:例えば、TTTっていうYouTubeのバラエティ番組みたいなのがあったりします。僕のオススメはTDOONG Tourだよ!字幕ONで見てね。

youtu.be

*3:K-POPアイドルが生配信をするサイトみたいなの。今はもうないね、一応後継サイトはあるんだけどね。悲しい。

*4:韓国のアイドルは7年契約なので、7年経つとグループからの脱退者が普通に出る。

*5:私の推しです。TWICEちゃん箱推しだけどミナが一番好きです。時点でジヒョ。まあコレ見てヘブンしてくれよ。

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*6:JYPエンターテイメントの社長でTWICEのプロデューサーであるパク・ジニョンの愛称。餅が好きなゴリラが由来。まんまである。

*7:韓国語で女神をヨシンと読む。

*8:韓国語で可愛いをキヨウォと言います。

ダスカ考2

 

 

ちょっとコレ見てコレ、

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え、嘘じゃん……ダ、ダス、ダスカ……遂に結婚するん……おお、お、うせやろ????え????

お、俺は、俺はダスカの結婚式に出る、出るのが、夢で、ダスカがバージンロードを、ある、歩くときに、父親(タキオン君ではない)をぶん投げて俺が、俺が腕を組んで、歩きたい、それが、夢、でえ……。大人になったデェワと控え室で会話する俺、俺はそれが欲しい。欲しいんだよいいだろくれよ!!!!!!!
「わあー、綺麗だねえ」
「ふふん、当然でしょ?なんてね。ありがと、トレーナー」(大人になったダスカは年相応に落ち着いているから、こういう、こういう大人の返しが出来るようになっているんですよ。お礼も普通に言えるの!!!!分かります?分かれ)
「いやあ、しかしダスカも結婚かあ。光陰矢のごとしだねえ」
「ちょっとトレーナー、おばあちゃんみたいなこと言わないでよね」(ダスカのおばあちゃんになりたい人生だったダスカはおばあちゃんに優しいから絶対優しいから毎年誕生日にはプレゼントくれるし頻繁に会いに来てくれるからその度に「ねえおばあちゃん、この間のアタシが出たレース見てくれた!?」って嬉しそうに報告してくるから絶対)
「ははは、ごめんごめん」
「……ねえ、トレーナー?」(ベール越しに見える伏せがちにした真紅の瞳は、何かに惑うように少しだけ揺れた。瞬間、覚悟を決めたようにこちらを向いた彼女の眼が私を刺す。それが私の心に潤んだ光を射す。宝石のようなその瞳は、淡い白のベールなどでは決して隠すことができない澄んだ煌めきを灯している。ああ、この子は変わらない。私は思う。身体が成長し、精神が成熟した今になっても、かつて私が見いだした彼女の美しい魂は何も変わっていない。)
「あのさ、今思うとアタシもアンタに色々迷惑かけたわよね。あの頃のアタシってホントにお子様だったし?……でさ、アタシは世界で1番幸せなウマ娘になるんだから、アンタも世界で1番幸せなトレーナーになりなさい!アンタはアタシのトレーナーなんだかこれだああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!これ!!!!これこれこれこれこれが欲しい!!!!!これをくれ一刻も早く死んぢまう前に秒速1万キロメートルの速さでくれ!!!!!私の心にはこの形をした穴が空いているからこれがあればがっつり穴が埋まるからこれが対象aだから違うわよこのバカ!!対象aは、母によってもたらされた原初的な万能感=ファルスを父によって去勢されたせいで永遠に失われた欠如のことでしょ!アンタなに意味わかんないこと言ってんのよ!ダ、ダスカァ(脳内)……!!
ダスカのパパなんていないんだ僕がパパの代わりになるんだ僕がダスカのパパなんだダスカがバージンロードを歩くときに付き添うのは僕なんだダスカが披露宴で親への手紙を読むときに登場するのはママとウオッカ君と僕なんだダスカは僕への感謝を述べるんだ披露宴の最後ダスカが親への感謝の手紙を読むとき新郎がマイクを持って涙ぐむダスカをそっと支えるんだ「アタシがトゥインクルシリーズを走りきることが出来たのは3人の人が支えてくれたからです。まず、ママ、今までありがとう。アタシがトゥインクルシリーズを走りきることができたのはママが支えてくれたおかげです。ママがトレセン学園の入学祝いにティアラをくれたでしょ?それがアタシとっても嬉しかったし、ずっと誇りでした。今はもう着けていないけど、今でも大事に飾っています。次にウオッカ、昔はアンタとバチバチにやりあってたけど(一同笑)、今となってはアンタが1番の親友でいれくれてよかったって思ってる(涙ぐむウオッカ君)。アンタがいたから、アタシは走る理由や1番のウマ娘について考えることが出来たし、目標を見失わずに走りきることが出来たの。ありがとね。これからもアタシの1番の友達でいなさいよ!……そして最後にトレーナー。子供の頃のアタシは本当に子供って感じだったから大変だったでしょ?でも、アンタはアタシのとなりにいて、ずっと見守っ、……見守ってくれて、たわ、よね……。……アタシ、ずっと、言えなっ、かったけど、アンタに、……本当にっ、感謝し、てダスカアアアアアアアアアアアア!!!!!!泣かないでええええええええああああああああああああああああえんだああああああああああああああああいやあああああああ!!!!!!!!!!!新郎しっかりダスカを支えてくれお前の見せ所じゃお前がダスカを支えダスカはお前を支えるんじゃコレになりたい早くコレになりたい一刻も早くコレになりたいコレになるためには何をしたらよいんですか何ですか滝行ですか!??!?!??!?!

以前、トレーナーとしての私はダスカが結婚してダスカが大人になり10代の煌めきが失われてしまったことに気付いて泣くという怪文書もといブログを書いたんですけど、

m-grandmother.hatenablog.com

これ…これもある……いい……できる……なんならこのブログ書きながらやってる……。この間ダスカをセンターにしたライブ動画を自分であげて「ダスカ1stLive"No.1"」というYouTubeの再生リストを自作したんですけどそれ見ながらやってる……。見てコレ見て再生リスト最初から再生して見て動画限定公開だけどリスト共有したら全部見れるから見て私(トレーナー)の気持ちになって見て雑音ちょっと入ってる動画もあるけど見て1時間近くあるけど全部見て最初から最後まで一部始終すべて見ろ!!!!そして把握しろ世界を!!!美しさを!!!生の原石を!!!

コレを見て、ダスカ、ダスカはキラキラしてるねって…本当に綺麗だねって…言って……10代の生の迸りを感じて……そして永遠に失われてしまった輝きのために…泣いて……。このリストに入ってる動画、トレセン学園のおもしれー女ことタニノギムレット君加入前に作ったから今となってはアレなんだけど作り直すのダルい。

ふふん、ここまで言うってことはアンタ当然サポカガチャ引くんでしょ?石はあるの?え、あ、いや…、ちょっと、あの、あー、どうかなあ?…ハハッ。はあ!?ちょっとどういうことなのよ、ちゃんと説明しなさい!へへ、ちょっと今、メジロラモーヌ育成ウマ娘実装に備えてぇ…石、貯金しててぇ…まだ100連分しか貯まってなくて、ちょーっと今回このタイミングってのは…厳しいかなあ~?なんて?ラモッ…、何言ってんのよ!!アンタってほんっっっっとーにサイテー!!!いや、話せば分かる。俺達はコミュニケーションを基盤として理解し合えるはずだ。ダスカはメジロラモーヌ知らないかな??見たことない??ほら、サポカのスクショ持ってきたから。見たら分かる。見たら分かるから。メジロラモーヌ見たらダスカもパパの気持ち全部分かるって!!!

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私の夢は泣きぼくろがあってグラマラスな大人のお姉さんです。(最低のオチ)

 

 

 

 

 

 

 

 

朔太郎と僕

 

 

萩原朔太郎が、
はぎわらか
おぎわらか
たまに分からなくなるんだ

僕は、古い皮膚の擦り切れた指先で
本のページを数千捲っても
だらりと垂れる髄液が手を伸ばす脳髄に
美しい知識と物語と言葉を注いでも
その時何をしていたとしても
酢酸エチルに眠る死んだ蝶の匂いが
展翅板に染み入って息を吹き返すように
萩原朔太郎が、
はぎわらか
おぎわらか
たまに分からなくなるんだ

はぎわらだったと
一体何度確認しただろう
この下らない人生の合計何分かを
はぎわらか
おぎわらか
朔太郎に捧げても
朔太郎は何時だって
僕の萎み縮まるしか道のない生を拒絶して
逃げていく
まだ足りない
まだ足りないと
美しい言葉と共に去っていく

朔太郎の後ろには
丸い大きな白い月
萩原朔太郎よりも中原中也の方が好きで
中原中也よりも西条八十が好きだ
そんな僕の心内が
白い月の光を反射して
朔太郎の背中を這い回るから
僕の心は百足の脚
ざらりとしたフィルムの夜を生きる節足動物
だからきっといつまでも
萩原朔太郎が、
はぎわらか
おぎわらか
たまに分からなくなるんだ

 

 

***

どっちが正しいのか定期的に分からなくなります。

 

 

 

 

 

 

 

 

自意識・ピエール・りんご飴

 

 

知らない間に2023年2月になっていた。怖いです。挨拶の菓子折は要らないから、せめて許可を取って欲しい。こんばんは、ばあちゃんです。
こうやって歳をとり、はたと気付いたときには既に死の直前なのではないかといつも思う。我々は死する存在である。ウー、ワンダフル!

 

実は恋人がいる。なんかこの間そういった類いのイベントが生じて、数年ぶりにリア充の仲間入りを果たした。私が普段から妄言ばかり吐いているせいで「まーた世迷いごとを」と思っている人がいるかもしれないが、恋人はしっかり三次元の人間である。多分。もし幻想とか妄想だったら泣く。そして泣きながら恋人のお墓を作る。
そんでまあ、冒頭で述べたとおり現在2月なわけだ。2月、恋人、リア充。この夜空に瞬く星々を繋げてできるのはチョコレートの形。つまりバレンタインデーである。

バレンタインデー、それは「好きな男子(爽やか、サッカー部所属、誰にでも優しい、実は恋人がいる)にチョコレートを用意したが、胸の内の諦念によって結局渡せなかった女子高生(普段は元気系だが実は繊細、男女問わず友人が多い、ミディアムロング、ラクロス部所属)が学校帰りに適当に選んだ私の家のチャイムを鳴らし、ドアを開けた私に「あの、すみません、何も言わずにこのチョコレートもらって下さい」と投げやりに言ってくるのを待つ日」であって、それから「いやいや君ィ、一体どうしたんだい」と驚いた私が女子高生を家に上げてお茶を勧めながら彼女の話を聞き、「でも、そのチョコレートを食べられないよ」と説得して家にあったお菓子を一緒に食べ、19時過ぎにはタクシーを呼んで女子高生をおうちに帰したりする日でもあるんだけど、まあこの定義が通用するのも去年までである。今年はこれに「かれぴっぴに何かあげるッピ」がプラスされるのである。
つってもチョコレートはあげないのであった。ばあちゃんはアレな、なんつーか、よくいえば合理的?みたいな?そんな人間なので、何かをプレゼントする時、本人に何が欲しいか訊いてしまう。いやね、要らないものあげてもね、でしょ、なん、文句ある????ロマンよりマロンが好きなんだよ俺は。栗は確かに食えるだろうが!!
それで恋人本人に相談したところ、色々な事情からチョコよりも物質の方が、いやチョコも物質だろ、あのー、食べられる奴よりもなんか食べられない奴の方がよいと判明した。すさまじい説明だなこれ。それでまあ、「入浴剤とかいいんじゃあないのぉ?」という結論に至ったわけで、本日入浴剤を買いに街に出かけたわけだ。
そして、このばあちゃんにはもうひとつのミッションがあった。この間、さぎょイプをしたあとの雑談タイムに友人からデパートのチョコレート催事場が楽しいという話を聞いた。実はばあちゃん、チョコレート催事場に今まで一度も行ったことがない。友人曰くとても楽しいところらしいし、2人でデパートのチョコレート通信販売ページを見ていると確かにめちゃくちゃ楽しい。私も実際現場に行き、お祭り騒ぎに参加したくなってきた。その話の流れで、今年は自分用にチョコを買って写真を見せ合おうという素敵企画を友人とすることになったのだ。楽しそうだね!やったねばーちゃん!

以上のふたつのミッションを抱え、街に到着したばあちゃんである。
まずは文房具屋に行き、小さなメッセージカードを買うことにした。手紙書くの好きなのよね。で、メッセージカードコーナーに行くと、時期も時期なのでバレンタイン関連のカードがたくさんある。ここでばあちゃんの手が止まる。バレンタインにバレンタイン関連のカード送るって一周まわってどうなん。
いや、いいと思うでしょ。でもね、あのー、どうなんすかね?バレンタインデーだからってhappy Valentinedayって書かれてるカード送るってなんかアレじゃない?なんか商業主義に踊らされてる消費者すぎない?大体それ聖ヴァレンティヌスに言えんの?アイツが処刑された日に「はっぴ~~☆」とか言えんの??しかもこれを手に取ってレジに持っていったら「あ、コイツ、日本の製菓企業に踊らされてるわ」と思われない?「商業主義にまんまと手玉に取られてる無知蒙昧な消費者キターーーー!!!」とかレジの人に思われない???それでいいのか?それでいいのか人間は!俺は……俺は……コマーシャリズムなんかに負けないんだから!!皆さん、これが自意識過剰です。テスト出ますよ~。
バレンタインに送るプレゼント買いにきた人間が何言ってんだよという話なんだが、一言でいえば何かこっぱずかしくなってただけです。恥じらいすら理由付けしないと表出できない面倒くさい人間なだけである。そんな私が手にしたのは鳥の絵が描かれたメッセージカードであった。マジでくっそめんどくせえ女だな、お前は。
ここで「私のことだから絶対書き損じるだろうし、もう一枚買っといた方がいいな」と思い、もう一枚買うことにした。ちなみに実際マジで書き損じたのでこれは慧眼です。自分のことが一番分かってるのゎ、自分ゃから。。。で、賢明な読者諸君は気付いているだろうが、自意識過剰人間は己が自意識過剰であること自体も恥ずかしいのである。マジでめんどくさい。なので己の精神バランスを保つために、もう一枚はベッタベタにバレンタインなデザインのやつを買った。はい、鳥の方は書き損じたので結局こちらをプレゼントに同封することになりました。なんかの寓話か?
それで喫茶店に入って手紙を書いた。字の練習をしたくてカードを入れてもらっていた封筒に恋人の名前を何度も書いたり、開き直って書き損じた手紙に推敲を加えまくったりしていたので端から見たらかなり不気味だったと思う。不気味ポイント加算。不気味ポイントカードにスタンプを押してもらった後、恋人のプレゼントを無事に購入し、もうここら辺になると製菓企業の販促キャンペーンに乗せられてバレンタインのプレゼントを買っていることに恥じらいもへったくれもなく、ニヤニヤしながら「あー、これも入れてくださ~~い。ゲヘゲヘ」と店員さんにカードを渡していた。さっきの自意識過剰は一体なんのためにあったんだよ。いやこれが普通なんですけど。それはさておき、ひとつめのミッションを達成したばーちゃんはデパートのチョコレート催事場に向かった。
実は友人からオススメのチョコレートを教えてもらっていた。

web.hh-online.jp


これである。美味しそうだ。なんてったってパリである。パリ、おかしおいしいところ、ばーちゃんしってる。これを買おう。これを買って優勝しよう。そう心に決めていた。チョコレートのこと全然詳しくないし。高いチョコレートとかゴディバしか知らんし。
催事場に到着すると、人間が回遊魚のようにグルグルしていたので、私もマグロとなって一緒にグルグル回り始めた。すごい。チョコレートしかない。ここ、チョコレートしかない。右も左もチョコレート、前も後ろもチョコレート、あなたも私もチョコレート、赤のチョコレート、黒のチョコレート、白のチョコレート、青のチョコレート。おめーらテスカトリポカか。
グルグル回っていたら脳もグルグルしてきた。だって、上を見上げたら知らないカタカナのややこしい店名がズラッと並んでいて、その下にはチョコレートしかない。ごめん嘘、何か知らんけど1店舗だけ代官山のりんご飴屋があった。なんで?ていうか代官山って代官しかいない山のこと??代官山って代官しか入れない代官の聖地かなんか??東京にはそういった類いの山があるの??それでそこにりんご飴屋があるの??なんで?????代官って総じてりんご飴が好きなの?????しかも友達に教えてもらったチョコレートがない。あったかもしれないけど見つからない。じゃあ何買えばいいの?だってどれもチョコレートだよ!?!?皆、争いを止めてよ!皆同じチョコレートじゃない!!!何故か1名代官山に生息するりんご飴がいるけどお前はマジでなんでいるんだよ。
カタカナのややこしい店名とチョコレートと人いきれと何故かいるりんご飴屋で頭が本格的にぐるんぐるんしてきた。アレだ、イスラーム神秘主義にぐるんぐるん回って踊り続けてトリップ状態に至る宗教儀式があると世界史Bの教科書だか資料集だかに書いてあった記憶があるけど、多分これがそれだ。もう訳が分からない。情報量が多すぎる。これを処理できる人間って何者?そして私は何者?チョコレート神秘主義の儀式により自意識が半分溶けかけたばあちゃんの眼に飛び込んできた文字列があった。
「ピエール」
ピエール!!しってる、わたし、ピエールしってるよ!!溶けた自意識が再び固まり始めた。
ピエールのことを私は知っている。ピエールとは有名なチョコレートの人である。さっきのチョコレートを薦めてくれた友人が教えてくれたのだ。ピエールはチョコレート業界で有名な人なんだよ、と。知らない人ばかりの場所で知っている人を見つけたときのような安心感が生じる。ピエールのお店のHPに載っていたピエールの写真は何だかすごくプロフェッショナルという感じがして、「僕の作るチョコは美味しいよ。信頼してよいよ」と顔に書いてあるようだった。そんなピエール。ああ、ピエール、生まれてきてくれてありがとう。神とビッグバンに感謝。フランス万歳!ラ・マルセイエーズ!そう思いながらピエールと書かれている店に近付いたら、HPに載ってたピエールじゃないピエールがいた。

このピエール、ピエールだけどピエールじゃない!!

そう気付いたときには遅かった。このピエールはピエールじゃないピエールより若いピエールで、そんなピエールより若いピエールは壁に貼られたポスターの中で爽やかな笑顔をして腕組みしていた。ピエールは少し皮肉げな微笑みでかっこいい感じに座っていたはずだ。私の知っているピエールは爽やかに笑っていない。私の知っているピエールは腕組みもしていない。会場の真ん中で泣き叫びそうになった。どうしてピエールが複数人いるんだよ!ピエールはピエールだけにしてよ!もしかしてピエールって襲名制なの!?この若いピエールはピエールからピエールを襲名した二代目ピエールなの!?ていうかどうしてチョコレートの人達は大体皆笑顔で腕を組んでるの!?公正取引委員会とかで決められてるの!?もう私はダメになった。自意識は再び溶け始め、それを止める者は最早この場にはいなかった。止められるのはピエールだけだったのだ。しかしピエールはいない。ピエールじゃないピエールしかいない。気付いたら、私はりんご飴を買って会場の中心に突っ立っていた。りんご飴は分かる。代官山はよく分からないけど、りんご飴は分かるのだ。自意識が溶けきった状態で、りんご飴だけが唯一明確に認識できるものだったのだ。
ちなみに調べたところ二代目ピエールはピエール・ルドンという人で、私が知っていたピエールはピエール・エルメであった。あとピエール・マルコリーニというチョコレートの人もいるらしい。二代目ピエールは二代目じゃないのかもしれない。しかしチョコレート界、ピエールいすぎじゃない?大丈夫?チョコレート学会みたいなので「ピエール!」って言ったら複数名振り返ることになるけど大丈夫?チョコレート学会ってなんだよ。
りんご飴片手に正気に戻った私は日本の生チョコ発祥のお店でジャスミンティーフレーバーの生チョコを買ったのだった。そのあと疲れて一時間前に入った喫茶店にもう一度入った。レジの店員さんが同じ人だったので、その喫茶店における不気味ポイントがまたひとつ加算されたかもしれない。こうやって人間は生きていくのだ、知らんけど。

慣れないことをすると疲れるわけだが、なかなか楽しかった。たぶん来年も行くと思う。実際楽しかったからね。慣れるとね、更に楽しいと思うんだ。しかし、来年はどのピエールが私を待っているのだろうか。もし知らない新たなピエールが待ち受けていたら怖い。それだけが怖い。ピエールにはこれ以上増殖しないで欲しい。
ちなみに代官御用達のりんご飴屋のりんご飴はそれだけでお腹いっぱいになるレベルで大きかったけど美味しかった。あと、多分だけど、今の代官山に代官はいないと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

私の掌は形而上の血に塗れている

 

 

その薄暗い空間には、若者達の写真が並んでいた。古びた鉢巻きが、くすんだ手紙が、沢山の遺品が並んでいた。
隣にいた友人がそっと囁いた。「×××ちゃんのおばあちゃんは、この人たちを見送っていたんだね」

それに対して、私はそうだね、とだけ答えた。

 

 

私の祖母はもう90歳を超えた。去年の冬に彼女が入っている老人ホームへと会いに行った時、彼女の認知症がかなり進行しているのが分かった。おそらく彼女は私が誰なのかもう分かっていない。
私の祖父と祖母は鹿児島の知覧で生まれ育った。戦時中、祖父は南方の戦地に送られ、祖母は知覧で特攻隊を見送る仕事をしていたという。子供の頃、夏になる度に私は祖母から、或いは祖父の話を聞いた母から戦争の話を聞いていた(祖父は私が物心つくまえに亡くなっている)。南方で自らが生きるために、遭遇した米兵を殺した祖父の話。祖父が戦地での話を一度しかしなかったという母の話。ALSで亡くなった祖父が死の数日前、牧師の「あなたの罪は赦されているんですよ」という言葉に涙を流したという話のあとで、「ずっと辛かったんやと思うわ。おじいちゃんは戦地で人を殺しとおけん」と言った母の顔。逃げ遅れ、爆撃機から逃げ惑い、道端の溝に落ちたから助かったという祖母の話。「やったら、そん時おばあちゃんが死んぢょったら、私は生まれちょらんかったん?」と問うた私に、「そうよ。おばあちゃんがあん時死んどったら、まりちゃんは生まれとらんかったんよ」と答えた祖母の真剣な表情を、幼い私は奇妙な心持ちで見ていた。私の命は、偶然と幸運の産物に過ぎないのだと思った。

姉が大学生の時、何かのレポートを書くために祖母の戦争体験についてのインタビューをテープに録音したという出来事があった。そこで祖母は、特攻隊を見送るときに心の中では「まだ若いのに可哀想だ」と思いつつ、それを言うことは叶わず、万歳をしながら見送り続けたという話をしていた。口に出せばどうなるか分からなかった。だから彼女は自分の想いを口には出せなかった。代わりに口にしたのは、「万歳」という言葉だった。
自分が生き延びるために人を殺した祖父と、自分が生き延びるために本心を隠し続けた祖母。その延長線にある世界で、私は生きている。

 

去年の11月、私は知覧特攻平和会館を訪れた。鹿児島に住んでいる友人の結婚式があった次の日、私は友人達と知覧にいた。11月の秋晴れの下、目の前には緑にあふれた牧歌的な風景が広がっていた。たった77年前、この地で10代の祖母は私の想像力の届かない場所に立って生きていた。

その薄暗い空間には、若者達の写真が並んでいた。古びた鉢巻きが、くすんだ手紙が、沢山の遺品が並んでいた。
隣にいた友人がそっと囁いた。「×××ちゃんのおばあちゃんは、この人たちを見送っていたんだね」

それに対して、私はそうだね、とだけ答えた。

それしか言うことが出来なかった。

 

想像力は届かない。それはいつも想像力が届かない場所にいた。ただ、本来傷付くべきではなかった人々が傷付き、本来死ぬべきでなかった人々が死に、そしてそれを哀れむ心すら掻き消されていったという事実だけが、私をまっすぐ見つめながら突っ立っている。常に、私の目の前に。
しかしそれでも、例えばバスに乗り遠くに見える海をぼんやりと見るとき、私は想像する。私が祖父或いは祖母の立場にあったなら、私があの時代に生まれていたなら、間違っている事象をはっきりと拒絶できただろうかと想像する。言論の自由が制限されている最中でも、国家権力が市民の権利を貶めている最中でも、それでも拒絶の意思を口に出すことが出来ただろうかと想像する。
「出来る」と言うことは簡単だろう。可能性の中では、我々はいくらでも正しくあることが出来る。そして、祖父或いは祖母を非難することも。だけれども、私はどうしても出来ると言えなかった。出来ないと言うことの方が簡単だった。私は所詮臆病で平凡な普通の人間であり、諸々の権利が剥奪されている中でそれらが出来るとはどうしても思えなかった。その勇気が発揮できるとはとても断言出来なかった。10年近く同じ自問自答を繰り返してきたが、答えは今でも変わっていない。
それでも私は想像する。想像するしかなかった。かつて生じた出来事に、少しでも自分を重ね合わせようとすることしか私には出来なかった。私は想像する。祖父の息づかいを、心臓の鼓動を、米兵の目を、赤い血潮に塗れた銃剣を、祖母の怯えを、殺された感情を、飛行機のエンジン音を、響く「万歳」の声を。形而上の血に塗れた私の掌を。
私が実際に何かをなしたわけではない。しかし私と祖父と祖母は同じだった。私は想像力の世界で何度も何度も、執拗なほど何度も、祖父と祖母と同じ罪と責任を共有し、それらを共に背負う。記憶にない祖父の姿と、老人ホームに住まう祖母の小さな体躯。その後ろに私は並ぶ。可能性の罪と責任でこの身を焼き、内省し、思考を止めず、出来事それ自体ではなく人間に想いを馳せる。
それが、幸運と偶然の結果として今生きている私がせめて出来ることだった。

 

 

「これだけはどうしても皆さんに覚えておいて欲しい。権利というものは、保証されて当たり前じゃありません。我々の権利や自由は簡単になくなっちゃうんです。」
教壇に立つ私は教師然として喋っていた。臆病で平凡な普通の小市民が、教壇に立っていた。広い教室の前方に座っている学生たちは、喋る私を黙って見つめていた。
「でも中には「先生、そんな簡単になくならないよ」って思う人もいるかもしれませんね。そういう人は、例えば治安維持法を思い出してください。あの法律によって思想弾圧が実際になされていたわけです。」
教室の後方には、私を見つめる過去がいた。私の代わりに権利を勝ち取るため戦った人々がいた。押し黙る祖母がいた。戦地に立つ祖父がいた。死んでいった沢山の人間がいた。名前も知らない人々の悲哀と死体の上で、おびただしい量の血の海の上で、私たちは諸々の権利と自由の美酒に酔っている。
「以上から分かるように、時に権利というのは本当に弱いんです。なくなる時はなくなってしまうものです。だからね、皆さん、私たちが今持っている権利は先人の努力と沢山の犠牲によって勝ち取られた尊いものであり、そして保証されているのが当たり前ではないということだけは絶対に覚えておいてください。」
はいはい、じゃあ授業に戻りましょうか、と言いながら私は思う。目の前の若者達はいつか理解してくれるだろうか。過去や歴史という言葉の影には、沢山の人間たちが潜んでいることに。巨大な出来事の影に隠れていたとしても、そこには常に我々と変わらない人間たちが大量にいたということに。のっぺらぼうでも名無しでもなく、感情と血と肉を持つ人間たちがいたことに。そして私たちは彼ら/彼女らの人生の延長線上に、今生きているということに。今は分からなくてもよかった。この話を覚えていてくれて、いつか分かってくれたら、こんなに嬉しいことはないと思った。

 

昨日憲法を守ろうと人々がビラを配っていた駅前に、今日は憲法を改正しようと演説を流す街宣車がいる。新自由主義に抗おうとする候補者の隣に、新自由主義的政策を推進しようとする候補者がいる。同性愛は治療可能性のある精神疾患だと書かれた冊子が国会議員の会合で配られ、それに抗議するデモが開かれる。
人々が抱くそれぞれの理念や思想、憤りや苦悩を織り込み、現在進行形で歴史は作られていく。そしていつか私たちも歴史の影に呑み込まれ、そこにあった筈の沢山の感情は燦然と輝く硬質な歴史的出来事の下に沈んでいく。踏みにじられてきた権利、踏みにじられている権利、踏みにじられんとする権利。その裏には常に人間がいる。人間は数になる。数にもならなかった人間は消えていく。そこにいたのは確かに人間であったという単純なことが次第に忘れられていく。
それはひどく悲しいことだと、いつも思う。

 

 

7月初旬にもかかわらず、最高気温35度を記録する街の片隅。無機質なビル街の狭間、太陽光で熱された道をうつむきながら私は歩く。私の掌は形而上の血に塗れている。可能性の罪と責任に、この身は常に焼かれている。形而上の血が指先からしたたり落ちるアスファルトの上、私の形に黒々と広がる影には、常に祖父と祖母がいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

無のやつ

 

 

脳が殺伐としているので、風呂に浸かりながら好きなものの好きな部分について書く。無のやつは面白くないシリーズ。果物。

 

和梨……瞬間、爽やかでどこか慎ましやかな甘みかと思いきや、飲み込んだあともしっかりと甘みが口に残り驚くところ。芯に近づくと酸味が増すことで表現される、梨の奥底にある密かな反骨精神のようなもの。ひとつひとつが粒立つ細胞。細胞を歯ですり潰し液体を啜る時、「人間は他の生物の命を犠牲にして生きているのだ」と私に気付かせ、内省させるところ。

枇杷……儚くて、透明で、密やかで、澄んでいて、心の内に郷愁があると気付かせるぼんやりとした甘さ。詰まっているように見えて簡単に崩れる脆く柔い実。歯を立てた感覚もなく溶ける実を飲み込んだ後、口に残らないひゅうわりとした甘さ。汁で滑って皮が剥きにくいところ。種が大きくて、実はそんなに可食部分がないところも儚げでいい。ひとり黙って枇杷の皮を剥く夕方は、時間の経ち方がゆっくりになる。

パイナップル……夏祭りの花火のように華やかで勢いのある甘さと酸味。噛んだ瞬間かたいのに意外と簡単にほどけていく繊維。ほどけたひとつひとつの繊維を噛むごとに、明るい橙色を想起させる味の果汁を惜しみなく飲ませてくれる。見た目の些か過剰な装飾加減とその味がぴったしとしていて、パイナップル全体の調和を生み出しているところ。じきじきと噛み締める度に、口の中がハレの様相になるところ。

蜜柑……ちゃみちゃみと薄皮を噛み続けると、ほんのり甘いところ。薄皮の中でぴつぴつと張った実が、未だ生きていると主張しているようでいじましい。皮を剥く時の触覚が楽しい。蜜柑のいじましく詰まった実も好きだが、夏蜜柑の「生など瑣末なことだ」と言いたげに大雑把な実も好きだ。夏蜜柑は皮も厚くて、ごっつりとしていて、大声でゲラゲラと笑っているように見える。蜜柑は笑わずに真面目な顔で生きている。どちらもとてもよいと思う。

洋梨……存在がエロティックで「よくないことをしているのではないか」という妄想を食べる時に抱かせる。洋梨は晩秋の台所の隅でこっそりと食べるもの。口に入れた瞬間、ねっとりとした実が歯にしな垂れかかる感覚。口腔内に絡みつき、次第に熱と咀嚼でどろりと溶けていく実。妖艶さと卑猥さ。飲み込む時には後ろめたさを感じさせる。その反面、美しく気品のあるふくよかな甘み。魂の美しさ。そのギャップ。

 

意外と(能動的に買いに行くほど)好きな果物がなかった。ちなみに嫌いな果物はありません。